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堺正章さんや西城秀樹さん…スターたちと駆け抜けた“テレビの最前線”



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 【話の肖像画】女優・樹木希林さん

 〈女優としてのキャリアは昭和36年、文学座の研究生からのスタートだった〉

 琵琶奏者だった父親がね、「薬屋なら1軒出してやるから、そっちに行ったらどうだ」って言うから、大学の薬学部の願書を取り寄せたんです。でも理数系が全然だめなのよ。普通の算数じゃないのよね、数II、数IIIって。それで入試前に父親が北海道に行くっていうんでついてったら、スキーでけがしちゃった。受けたって落っこちてますけど、試験に行かなかったの。

 父親は朝から琵琶を奏でて、みんなで楽しく1日終わるって生活だったから、私も就職するって感じではなかったのね。だけどどっか行かなくちゃということで、たまたま劇団の募集があるからと受けたのが文学座でした。

 〈舞台で研鑽(けんさん)を積むかたわら、39年、森繁久彌主演のテレビドラマ「七人の孫」でお手伝いさん役を演じ、一躍人気者になる〉

 最初はもちろん、タイトルに出るような役じゃないですよ。それが2本目くらいを撮ってるときに、ちょっとお手伝いの役で残れる人いないって言われて、あ、行きます、行きます、って。それが始まりなのよ。

 そうしたら何だか役が独り歩きしちゃって、しまいには「おじいちゃんと私」という番組を作るなんて話になって、それはやめてくれと言いました。偏屈だったからね。

 そのころはね、役者にとっては1が舞台。2がせいぜい映画。で、まあテレビは3番目。森繁さんも本当は嫌がってたんだけど、みんなでおみこしを担いだって感じだった。

 そして4番目がCM。ところが私は邪道の方が好きなので、初期のころからCMをやってたの。みなさんがご存じないような地方のお醤油(しょうゆ)屋さんとか、はんぺん屋さんとか。先輩方には「あんたね、CMなんてやってるような役者じゃだめよ」って言われていたわね。

 〈その後、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」と人気ドラマへの出演が相次ぐ。特に30歳前後での老け役は話題を呼んだ〉

 あれはね、たくさんテレビに出てくたびれちゃったから、縁側でひなたぼっこしてるようなばあさんの役にするって、自分で決めたの。楽したいと思ったらとんでもない。そのおばあさんが一番動き回る役になっちゃった(笑)。

 脚本の向田邦子さん、演出の久世光彦さん、それに堺正章さん、西城秀樹さん、郷ひろみさんといったスターたちとわーっと駆け抜けてったって感じね。そのころの向田さんの脚本は隙間だらけで、それを久世さんが「このシーンはあんたが何とか」って、穴埋めみたいにして私らを動かした。それが今の財産にはなってるなと思います。

 ただ私はもう最初から邪道の方だから、いつやめてもいいわよって感じだった。早くちっちゃな家を買ってローンを返しちゃいましょ、なんてね。算数はできなかったけど、ローンの計算はできたのね。(聞き手 藤井克郎)

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引用:堺正章さんや西城秀樹さん…スターたちと駆け抜けた“テレビの最前線”




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