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<連載最終回>米国「対テロ戦争」の兵士と家族(7) 帰還兵が始めた反戦運動 市川ひろみ

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イラク、アフガニスタンから帰還した兵士とその家族たちは、2002年から反戦運動を組織し始める。ヴェトナム戦争時に高揚した反戦運動は徴兵制下の運動だったが、「対テロ戦争」に派遣されているのは志願兵。どのような動機と論理で、「自由意思」で参戦した兵士と家族たちは反戦を訴えるに至ったのだろうか?市川ひろみ京都女子大教授の寄稿の最終回。(整理/石丸次郎)

【他の写真を見る】 路上で米軍の身体検査を受けるバグダッド市民


「死傷の危険にあるのは、私たちの愛する人々である。その経験から傷つき帰還してくるのは、私たちの愛する人々である。無実のイラク市民の負傷・死とともに生きていかなくてはならないのは、私たちの愛する人々である」

帰還兵および家族による反戦運動

アメリカ軍兵士・帰還兵は、軍内外で反戦運動を行なってきた。特にヴェトナム戦争時には、多彩な活動が展開された。1970―71年には、徴集された4人に1人が、反戦ビラ、反戦カフェ、サボタージュなど何らかの不服従・反戦活動に関わっていた(49)。当時は徴兵制であったため、多くの人々―社会的に恵まれた環境にある人々も含め―が直接の当事者であった。

「反戦ヴェトナム戦争帰還兵の会(Vietnam Veterans Against the War: VVAW(50))」による戦場の実態を知らせる活動は、アメリカ社会において広く人々の注目を集めた。

しかしながら、現在は志願制であり、すべての兵士は「自由意思」で入隊しているため、現役の兵士が反戦の活動に関わりにくい。「対テロ戦争」では、戦場を経験した帰還兵による運動だけでなく、兵士の家族らによる反戦運動が登場した(51)。

2002年に結成された「声を上げる軍人家族の会(Military Families Speak Out: MFSO(52)」は、軍に親族あるいは愛する人をもつ、イラクおよびアフガニスタンでの戦争に反対する人々の組織である。

「家族や愛する人を軍人・兵士にもつ人間として、私たちには、イラクでの戦争に反対する特別の必要性と無比の役割がある。現在戦場にある、かつていた、これから赴くであろう人々は私たちの愛する人々である。死傷の危険にあるのは、私たちの愛する人々である。その経験から傷つき帰還してくるのは、私たちの愛する人々である。無実のイラク市民の負傷・死とともに生きていかなくてはならないのは、私たちの愛する人々である」

として、イラクの人々も、アメリカ軍兵士も、そしてその家族も愛する人をもつ同じ人間であることを強調している。

現在では、およそ4000の家族が加わっている。彼らは、アメリカ全土のみならず、英国など他国の軍人家族ともつながりをもつ。2003年8月にMFSOは、1985年に核兵器拡張競争に抗議する帰還兵によって設立された「平和のための帰還兵の会(Veterans for Peace: VFP(53))」のメンバーらとともに「ただちに兵士たちを故郷に還せ(Bring Them Home Now)」キャンペーンを展開した。

2004年7月には、VFPの助言協力を得て、「反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War: IVAW(54)」が結成された。イラクからの全占領軍の即時かつ無条件の撤退、すべての退役軍人および現役軍人に対する医療保障その他の給付、イラク国民への賠償をその活動の目的としていた。

IVAWは、2008年3月、メリーランド州で公聴会「冬の兵士―イラクとアフガニスタン 占領の目撃者」を開催した。これは、1971年、ヴェトナム戦争時にミシガン州でVVAWが開催した冬の兵士公聴会にならったものである。帰還兵、現役兵、家族ら200人以上が集い、4日間にわたって数十人が証言した。

これらの反戦運動は、帰還兵自身の尊厳を回復するという意味もある。IVAW創設者のひとりで、コロラド陸軍州兵憲兵部隊の一員として2003年3月から04年2月までイラクで服務したケリー・ドーアティによれば、
「私たちの組織は、癒しと、自分自身がすでに失ったと思っていた自身の再生を意味するとともに、他の人たちを苦しめた自分の役まわりを償うことや、相互に支援し合い、母国のために立ち上がり続けることも意味している(55)」。

ある会員は、海兵隊におけるすべての軍務よりIVAWでの仕事に誇りを感じる、とも語っている。

「平和のための戦没兵士家族の会(Gold Star Families for Peace)」は、24歳だった息子ケーシー・シーハンを2004年にイラクのサドル・シティで亡くしたシンディ・シーハンらによって、05年に設立された。彼女は、息子の写真を手に「私は彼ら(国防総省)に、国防長官の政策の結果を見せたかった」と語っている。

彼女にとって、息子の死を意味のあるものにすることは、戦争を終わらせることであり、彼女は、アメリカ各地はもちろん、海外でも活発な反戦活動を行ない、イラク反戦運動の象徴的な存在となった(56)。

次ページは:「敵」にも思い寄せる反戦運動

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引用:<連載最終回>米国「対テロ戦争」の兵士と家族(7) 帰還兵が始めた反戦運動 市川ひろみ


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帰還兵および家族による反戦運動

アメリカ軍兵士・帰還兵は、軍内外で反戦運動を行なってきた。特にヴェトナム戦争時には、多彩な活動が展開された。1970―71年には、徴集された4人に1人が、反戦ビラ、反戦カフェ、サボタージュなど何らかの不服従・反戦活動に関わっていた(49)。当時は徴兵制であったため、多くの人々―社会的に恵まれた環境にある人々も含め―が直接の当事者であった。

「反戦ヴェトナム戦争帰還兵の会(Vietnam Veterans Against the War: VVAW(50))」による戦場の実態を知らせる活動は、アメリカ社会において広く人々の注目を集めた。

しかしながら、現在は志願制であり、すべての兵士は「自由意思」で入隊しているため、現役の兵士が反戦の活動に関わりにくい。「対テロ戦争」では、戦場を経験した帰還兵による運動だけでなく、兵士の家族らによる反戦運動が登場した(51)。

2002年に結成された「声を上げる軍人家族の会(Military Families Speak Out: MFSO(52)」は、軍に親族あるいは愛する人をもつ、イラクおよびアフガニスタンでの戦争に反対する人々の組織である。

「家族や愛する人を軍人・兵士にもつ人間として、私たちには、イラクでの戦争に反対する特別の必要性と無比の役割がある。現在戦場にある、かつていた、これから赴くであろう人々は私たちの愛する人々である。死傷の危険にあるのは、私たちの愛する人々である。その経験から傷つき帰還してくるのは、私たちの愛する人々である。無実のイラク市民の負傷・死とともに生きていかなくてはならないのは、私たちの愛する人々である」

として、イラクの人々も、アメリカ軍兵士も、そしてその家族も愛する人をもつ同じ人間であることを強調している。

現在では、およそ4000の家族が加わっている。彼らは、アメリカ全土のみならず、英国など他国の軍人家族ともつながりをもつ。2003年8月にMFSOは、1985年に核兵器拡張競争に抗議する帰還兵によって設立された「平和のための帰還兵の会(Veterans for Peace: VFP(53))」のメンバーらとともに「ただちに兵士たちを故郷に還せ(Bring Them Home Now)」キャンペーンを展開した。

2004年7月には、VFPの助言協力を得て、「反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War: IVAW(54)」が結成された。イラクからの全占領軍の即時かつ無条件の撤退、すべての退役軍人および現役軍人に対する医療保障その他の給付、イラク国民への賠償をその活動の目的としていた。

IVAWは、2008年3月、メリーランド州で公聴会「冬の兵士―イラクとアフガニスタン 占領の目撃者」を開催した。これは、1971年、ヴェトナム戦争時にミシガン州でVVAWが開催した冬の兵士公聴会にならったものである。帰還兵、現役兵、家族ら200人以上が集い、4日間にわたって数十人が証言した。

これらの反戦運動は、帰還兵自身の尊厳を回復するという意味もある。IVAW創設者のひとりで、コロラド陸軍州兵憲兵部隊の一員として2003年3月から04年2月までイラクで服務したケリー・ドーアティによれば、
「私たちの組織は、癒しと、自分自身がすでに失ったと思っていた自身の再生を意味するとともに、他の人たちを苦しめた自分の役まわりを償うことや、相互に支援し合い、母国のために立ち上がり続けることも意味している(55)」。

ある会員は、海兵隊におけるすべての軍務よりIVAWでの仕事に誇りを感じる、とも語っている。

「平和のための戦没兵士家族の会(Gold Star Families for Peace)」は、24歳だった息子ケーシー・シーハンを2004年にイラクのサドル・シティで亡くしたシンディ・シーハンらによって、05年に設立された。彼女は、息子の写真を手に「私は彼ら(国防総省)に、国防長官の政策の結果を見せたかった」と語っている。

彼女にとって、息子の死を意味のあるものにすることは、戦争を終わらせることであり、彼女は、アメリカ各地はもちろん、海外でも活発な反戦活動を行ない、イラク反戦運動の象徴的な存在となった(56)。

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引用:<連載最終回>米国「対テロ戦争」の兵士と家族(7) 帰還兵が始めた反戦運動 市川ひろみ


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