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ご存じ? 女性ファイター「ロンダ・ラウジー」のスゴさ

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 男性の目から見てもカッコいい。そう思わずにはいられない1人の女性ファイターが米国にいる。総合格闘技「UFC」でトップを張るロンダ・ラウジーだ。現UFC女子世界バンタム級王者の彼女は今、全米はもちろん世界に“革命”を起こしつつある。チャンピオンに君臨するやいなや、その名を轟(とどろ)かせ、男性ファイターにまったく引けを取らない激しいファイトでそれまで世間に浸透していなかった「女子MMA(総合格闘技)」という分野を確立させたからだ。

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 直近の試合は2月28日。カリフォルニア州ロサンゼルスのスタップレスセンターで行われた「UFC184」のメーンイベントでラウジーは同王座5度目の防衛戦に臨んだ。相手はMMAデビュー以来、破竹の9連勝をマークしていた同級1位のキャット・ジンガーノ。「さすがにナンバー1コンテンダーだけあってラウジーも苦戦するのではないか」と見る向きもあったが、それは杞憂(きゆう)に終わった。ラウジーは試合開始からわずか14秒、ストレートアームバー(腕ひしぎ十字固め)を決めてタップアウト勝ち。同大会全11試合(男子の試合は全9試合)のメーンを張り、その期待にこたえる壮絶な圧勝劇で会場に集まった1万7654人の大観衆を大きく沸かせた。

 これでMMA戦績は11戦11勝の負けなし。「ストライクフォース」(ラウジーが参戦していたMMAの団体。現在は消滅)時代も含め世界戦は7試合と実に半分以上がタイトルマッチという他に例を見ないキャリアを積み重ねているラウジーの注目度は日を追うごとに増し続けており、特に米国内における人気は相当に高い。

 収入も他の超一流スポーツ選手たちと引けを取らない。米スポーツ専門局『ESPN』や経済専門誌『フォーブス』などの情報を総合するとラウジーの2014年の年収は約600万~700万ドルと見られており、そのうち半分以上は契約したスポンサーからの収入だという。CMキャラクターとしてもこれだけの額を稼ぎ出すことを考えれば、彼女が世間でいかに高い人気と注目度を誇っているかが十分に理解できる。

●ラウジーの魅力

 「オクタゴン」と呼ばれるUFCの六角形のリングの中で見せる鬼の形相とは対照的に戦いの場をいったん離れると、まるでモデルのようなルックスからあふれんばかりの笑顔を見せるのがラウジーの魅力。そのギャップが、またファンにはきっとたまらないのだろう。

 この美貌と強さを兼ね備えたキャラが買われ、2014年公開のハリウッド映画『エクスペンダブルス3 ワールドミッション』にも出演。シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーら大物ハリウッドスターたちとの共演も果たした。さらに今年3月31日には人気プロレス団体「WWE」のPPV(ペーパービュー)大会「レッスルマニア31」(カリフォルニア州サンタクララ・リーバイススタジアム)でも、WWE側からオファーを受けてプロレスの試合こそやらなかったもののリングインしてステファニー・マクマホンを蹴散らし、観客を喜ばせた。

 今や飛ぶ鳥を落とす勢いのラウジー。しかしここまでの道のりは決して平たんではなかった。8歳の時に父親が自殺。幼少期に深い心の傷を負った彼女だが、その精神的ショックを振り払おうと元柔道選手だった母親の手ほどきを受けながら柔道を始める。「朝起こされるときに母親からアームバーを決められていた」(ラウジー)。冗談か本当かよく分からないが、母親からのマンツーマン指導はかなり厳しかったようだ。しかし、その英才教育が大きな成果を結び、ラウジーは柔道家としてメキメキと頭角を現すことになる。

 17歳の時に2004年のアテネ五輪に女子63キロ級で出場(一回戦敗退)。しかし、同年の世界ジュニア選手権(ハンガリー・ブタペスト)では同じ階級で金メダルを獲得した。2年後の同大会(ドミニカ共和国・サントドミンゴ)でも63キロ級で銅メダル、2007年の世界柔道選手権(ブラジル・リオデジャネイロ)では階級を上げて70キロ級で出場し銀メダル、さらに北京五輪でも70キロ級で銅メダルに輝いた。

●ラウジーの快進撃に拍車

 だが柔道の国際大会に出ていくらメダルの数を増やし続けても、なかなかお金を稼ぐことはできない。そんな葛藤に悩まされるようになったラウジーは精神的に不安定な状態になってしまう。2009年には元柔道選手・谷本歩美の紹介によって日本のコマツ柔道部に留学したものの、練習の過酷さとホームシックによって1週間ほどで逃げ出し、米国へ無断帰国してしまった。つい先日、米スポーツ専門局『ESPN2』のトーク番組にゲスト出演したラウジーは、当時の状況をこう振り返っている。

 「あのころの私はどん底だった。唯一のライフワークだった柔道の道も閉ざされてしまったのだから、自分でもどうしたらいいか分からなくなっていた。ホームセンターでレジ打ちのアルバイトをしながら『この先、どうなるのかしら』とも考えたりしていたわ」

 そんなお先真っ暗の彼女が飛び込んだのがMMAの世界だった。その昔、ラウジーはひそかに「女子MMAの先駆者」と言われるジーナ・カラーノという格闘家の試合をテレビで見ながら「私もやってみようかしら」と思いかけたことはあったが、まだ当時は女子MMAの人気が低くて選手生活を続けていくだけでは生計がなかなか立てられない時代だった。

 「昔は確かにジーナの試合を見て憧れかけたこともあったけれど、当時は柔道メダリストが女子MMAに転向するなんてタブー視されていた時代。とても口に出せるような状況じゃなかったわ。何より、お金もちゃんと稼げるかどうか分からなかったから。でも、もう私はここ(MMA)に行くしかなくなった。ゴー・フォー・ブロック(当たって砕けろ)の心境ね。人間は不思議なもので追い込まれるとヤル気がみなぎるものなのよ。追い込まれて、そのままダメになってしまう人も確かにいるけれど私はそうなるのがイヤだった。そこに行くしかないのならば、もう全力でやってみようと……。ただそれだけのことだったのよ」

 MMAの世界に身を投じる際、ラウジーが心に決めたことは「全力でチャンピオンになり、そして私が必ず女子MMAの評価を変える」。その言葉通り、彼女は2011年3月3日に前出のストライクフォースで女子バンタム級王座を獲得。ストライクフォースがUFCに吸収合併されたことに伴い、そのままUFCに移籍して2011年12月6日にUFC女子バンタム級王者として認定されると快進撃に拍車がかかった。

●ラウジーの不屈の精神力

 そういえばラウジーは現WBC・WBA・WBO世界ウェルター級統一王者のフロイト・メイウェザー・ジュニアについて、かつて「MMAならば勝てる」と発言して物議を醸したり、メディアを通じて以前「私は観客に媚(こ)びるつもりはないし、いかにして戦いに勝つかということしか考えていない」ということを口にしたりもしている。これらは彼女が女子MMAに対する世間からの偏見を取っ払おうとあえて自らが“ヒール像”を見せることで男性にも劣らない女性の強さを強調しているような気がしてならない。

 あのプロレス界のスーパースターであるハルク・ホーガンが「MMA界のスーパースターは間違いなくロンダ・ラウジーだ。最高にクールなファイターだよ」と評しているのも見逃せない。かつてどん底にまで落ち込みながらも、そこから意を決して新境地へ――。女子MMAの地位を引き上げ、超一流のスーパースターになったラウジーの不屈の精神力はビジネスパーソンにとっても見習うべき点は多いだろう。ちなみに彼女の次回ファイトは8月1日にブラジル・リオデジャネイロで行われる「UFC190」。ベチ・コヘイアと対戦するUFC王座防衛戦だ。ぜひ注目したい。(臼北信行)

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